『先生という職業は無い』という話は、よく聞きますが、厳密には『職人』という職業もありません。 履歴書などに『職業・職人』とは記入しないわけで。 『職人』というのは、特に知識も技術も無くとも〈自称〉でも成立してしまうという、非常に不安定な存在のように感じることがあります。 実際、〈職人〉という立ち位置(≒価値観?)は、それぞれ人によって違うのです。 私とオリエンテの二代目は、二人で肩を並べて修練を積み上げてきましたが、私と二代目では、職人として歩んできた道は全く違いました。 私は純粋に『力こそが全て』という単純明快な、(実力と)結果至上主義の道を歩んできましたが、二代目は『父親である親方の後を継ぐ』という大前提で、職人の道を歩んできました。 お互いに、お互いの〈道〉を “自分だったら、絶対に無理だ。” と認めていたのですから、なかなか面白いものです。 二代目が、〈二代目〉として本気で親方の後を継ぐ決心をしたのは、確か、彼の職人としての経験を10年ほど積んだか、積まないか・・・ぐらいの頃で、それまでずっと悩み続けていたことは、私はそばで見てきました。 二代目がオリエンテを受け継ぐ決心をするまでは、彼はいつも “俺は親父の後は継がない。” と言っていました。 本当は『継がない』というつもりは無かったのですが、その頃は『オリエンテを受け継ぐ』という重圧に耐えきれないがゆえに、明確に後継者の名乗りを上げられなかったわけです。 いつであったか、二人で話をしていた時に、“俺、親父の後を継ぐわ。” と二代目は私に言いました。 その時、“わかった。じゃぁ、あたしは全力でサポートをしましょうかね。” と私は約束をして、それは私が絃バス屋を立ち上げた現在も、その関係は変わりません。 で、二代目が “俺、オリエンテを継ぐわ。” と親方に言った時に、“お前は、さんざん『後は継がない』って言ってきたじゃないか!!” と親方が激怒をし、二代目と大喧嘩になりまして・・・・・・私が必死で、親方をなだめる・・・と、まぁ、いつもの光景が目の前にありました。 でも本当は、すごく嬉しかったのですよ、親方。 それからの二代目の〈職人〉としての生き様は、やはり “あたしには到底、真似できない。” というぐらいの己自身に対する厳しさでした。
一方、私の方といえば、以前にもお話ししたように、私自身、特に何かが突出して秀でた能力のある職人ではないことは、早い段階で自覚をしました。 それだけに、私の中では常に “腕が悪かったら、いつクビ(解雇)になるのか、知れたものではない・・・。” という恐怖が、下働きの頃から、オリエンテを辞める最後の日まで、消えることはありませんでした。 “とにかく、高い技術力を親方に見せ続けなければ、(職人として)食べていけない!” と必死で修行をしていたように思います。 だから、『技術の無い職人は無価値だ。』と私はよく言いますが、実際のところ、それは、まず自分自身に言い聞かせていることであり、でもやはり、それは〈職人〉としての基本姿勢だとも考えています。 実際に、私がオリエンテを辞める時、親方に “長い間、お世話になりました。” と挨拶をした時に “あぁ。お前は、もう要らない(いらない)から。解雇。” と、本気で、そう言われる覚悟をして挨拶をしました。
まぁ、実際に親方が、そんなことを言うはずもなく、仕事を外れれば非常に優しい人であることは当然知りつつも、やはり、最後の最後まで “自分は本当に親方に認めてもらえていたのだろうか?” という恐怖というか不安が心の奥底に、べったりと貼り付いていました。 二代目に言わせると、その重圧を抱え続けて修行をするのは “俺には、無理。” ということに、なるようです。 私も二代目も、自分に与えられた立場の中で、己の肉体と精神を限界まで追い込み続けて、その極限に向き合って、そこで初めて自分自身の『職人像』というものを見つけ出したように思います。 それこそ今から40年前とか50年前とか、その時代の職人たちは、それが日常で、そこに『職人の矜持』というものがあったわけですが、今の時代、そのような厳しい修行は世の中が許さなくなってしまいました。 私が修行を始めた25年ほど前でさえ、もう、そのような修行を積む職人は絶滅危惧種でした。 ただまぁ、いつも申し上げますように、時代の流れに逆らうことは難しく、また、様々な業種においても『職人の、そのような過激な修行は不要。』という価値観が主流になってきているのですから、仕方のないことなのかな、とも感じます。 それでも最近、仕事をしていて、常連さんを含む、多くのご来店いただいたオーナーとお話をしていて、楽器を演奏する人々が、もっと職人に想いを強く伝えることができれば、私たち職人は、その想いを真摯に受け止めることで自らの修練を積み上げることが可能ではないか、と感じています。 結局、〈時代〉という大きな流れを見るのではなく、私たち弦楽器職人にとっては、やはり〈音楽〉というものが根本にあり、その流れの中では、職人たちが、まだまだ強い想いを持って修練をする生き場が残されているようにも思います。 やはり文化というものは、それに関わる人々が〈不要〉と判断すれば衰退する以外にはないものですが、逆に〈必要〉を求め続ければ、まだまだ成長するのではないかと思います。 私たち弦楽器職人は、楽器を演奏する方々の〈求め〉がなければ、時代の波に飲まれて一気に衰退してしまいます。 だから、これからの時代の職人像をいうものは『弦楽器職人と演奏者が、共に成長をしていく。』という道(価値観)が重要なのかな、と、そんなことを思いました。