『職人の修行の物語』なんて、けっこう美化された話が多かったりするのですが、実際のところ、そんな『美談』なんて数えるほどで、本来の〈修行の日々〉なんてものは、家族も巻き込んで、まさに自らの肉体と精神を追い込み続け、発狂しそうな気持ちを強引に押さえ込んで、さらにそこから自らを追い込み続ける・・・そんな混沌の日々を繰り返し、乗り越えなければ、一人前には、なれなくて。 と、ちょっと、そんな話か、それほどでもない話題か。 我が家では、一生語り継がれるであろう、もはや伝説級の話。 昨日、高校生の娘の誕生日でして。 もう、15年ほど前になるでしょうか? そう、彼女の誕生日の話。 その日は、いつものように仕事を終えて、帰宅をしました。(自宅とオリエンテは、自転車で5分弱の距離) 『仕事を終えて帰宅』などといっても、オリエンテでは基本的に冷房はなく、室温が40℃を超えるころに、室温が38℃ぐらいになるように冷房が入る程度で、とにかく猛烈な暑さの中で、一日中、材木を切ったり削ったり磨いたりするので・・・帰宅した頃は、まだ意識が朦朧(もうろう)としているわけです。 で、帰宅して、何か女房が私に話しかけて、それに何故か私がブチ切れて、開けたばかりの牛乳パックの中身・・・ほぼ1リットルを、思いっきりブチ撒いた(まいた)という。 ・・・えぇ、部屋の中に思いっきり。
そして、目の前にいた娘には、頭から大量の牛乳が降り注がれた・・・と。 うん、あの頭から牛乳を浴びて立ち尽くす娘の姿、今でも目に浮かびます。 とはいえ、自分でも、怒りに任せて牛乳1リットルを部屋にまき散らした記憶は今でも鮮明に覚えているのですが、女房の、なんの一言で切れたのか全く記憶にない。 それは現在の記憶だけではなく、実は、その日、牛乳を撒き(まき)散らした30分後に、情けなく部屋中を掃除していた時でさえ、なんで切れたのか、全く記憶にないという・・・。 あの当時、私の職人としての経験は、おそらく10年になるか、少し足らないかぐらいの頃で、4年間の下働きを終えて楽器製作の現場に入れられて数年、〈修行〉の時代において、一番苛烈な時代に突入した時期で、毎日が必死でした。 修行をしていると、そういう時期というものは、あるものです。 “一瞬でも気を抜いたら、全てが終わってしまうのではないか?” という恐怖心に追い立てられて、『技術の向上』とか『製作技術を学ぶ』とか、そんな次元を超越した深みに飛び込んでしまう時期って、あるわけで、丁度、その時期の、最悪の精神状態の日に娘の誕生日だった・・・というわけですね。 私の高校時代からの友人たちなどは、京都と埼玉(地元)と離れてはいても、ずっと私と私の家族を見守ってくれていたもので、いつも “お前が職人として生きていけるのは、女房と子供の理解があるからだ。” と、今も変わらず言い続けてくれますし、私自身、家族に大きな犠牲を強いて、職人世界を生き抜いてきた自覚は、今も昔もあります。 あの『牛乳1リットル撒いちゃった事件』も、1ヶ月後には笑い話になっていたのですから、まさに家族には感謝です。 我が家には子供が4人いて、上は高校生から下は2歳児ですが、高校生の娘は、私の、まさに鬼のような修行時代を体感しているので、“絶対に〈職人〉になんか、なるものか!!” と宣言しています。 まぁ・・・そうなりますね。 私は、そういう修行の形の世界に身を置いて育ちましたが、今の時代(実際には、その当時でさえ)、私のような生き方は難しくなっていることは痛感していますし、私のような生き方は、推奨されるべきでも無いと思います。 ただ、そうやって、自分を追い込み続けなければ到達できない〈世界〉というものも、あるわけで、これからの時代の職人たちが、その時代の〈修行〉の中で、どのような深みに到達できるのかは、非常に興味深く見守っています。