“楽器の鳴りが悪いので、状態確認して欲しい。”
そんな依頼がありました。
その楽器の魂柱の写真が、こちら。
楽器の板の膨らみの〈曲線〉に対して、この魂柱は〈直線〉で削られています。
当然、これでは楽器は鳴りません。
過去に投稿しましたが、魂柱の取り付けは演奏者には見えないので、その部分での手抜き作業は非常に悪質で、悪意を感じます。
そのような楽器は、当然、駒の足の裏は繰り抜かれて、足裏の接地面積は非常に狭い状態です。
このような状態で、楽器が鳴るはずもありません。
“この楽器は全然鳴らなくて。 楽器を買い替えた方が良いのかと、ずっと悩んでいます。”
と、オーナーは話されていました。
これは非常に悲しいことです。
コントラバス職人の悪意によって、楽器が鳴らない。
それが、誰かの〈音楽〉を奪ってしまったという状況。
実際、普段仕事をしていて、特に初めてご来店いただいた方々からの“そもそも、コントラバス職人のことは、信頼していないからね。”という無言のプレッシャーを感じることは少なくありません。
楽器の調子が悪くなったから、仕方なくコントラバス専門店へ来ている。
だからといって、私はコントラバス職人を信頼しているわけでもない。
とりあえず、不調の箇所が改善すれば良い。
私はそんな雰囲気を、オーナーから感じることがあります。
それはそうです。
そもそも、この楽器のような粗悪な〈調整〉がされてしまっては、その後から何をやってみたところで、それほどサウンドに変化をつけることはできません。
何をやっても、対して変化がない。
すなわち、コントラバス職人は信頼されなくなる。
“ウルフトーンなんてものは、演奏者の演奏技術で対処すれば良い。”
などと言い放った無責任な職人もいるようですが、実は、それ以前に、まともな調整をされていないコントラバスも少なくない。
先日、『雑感』のなかで、演奏者においてのコントラバスの文化の進化について書きました。
その中で、職人の進化に対しても少し述べました。
私が『コントラバスの文化の発展』において一番危惧していることは、職人たちが、演奏家の意識に追従できるのかという問題です。
実際、今回の記事のような調整技術が蔓延してしまっている現在の状況の中で、本当にコントラバス業界は変革、進化、発展できるのだろうか。
そんなことを感じます。
よく申し上げますとおり、職人の『技術の未発達』と『悪意ある手抜き行為』は全く違います。
今回記事の写真や、過去の記事の事例は、間違いなく、職人の悪意です。