『職人の生活』というものを話のネタにしようと思ったときに、おそらく一番面白くはないのは『半人前』の頃のような気もします。 ただ、ひたすらに楽器を作っていただけの時期なので。 私のオリエンテでの20年間の修行期間の中で、18歳で修行を始めて下働きの期間が丸4年、親方に認めていただいて一人前として仕事をさせていただいたのが約5年ほど。
だから、いわゆる『半人前』のような期間は約11年間ほどでしょうか? これもまた11年もあるわけですから、時期によって多少の生活パターンは違ってきます。 結婚をして一人目の子供が生まれて・・・という頃は、だいたい職人として10年目とか、その少し前ぐらいか。 その頃から、わりと現在に近い生活パターンになります。 起床時刻は、相変わらず5時30分ごろに目覚まし時計が鳴り、6時ごろから朝食を食べ始めます。 女房は育児で疲れているので私一人で起きたり、子供が少し大きくなると、子供たちも6時前に起床するようになります。 朝食を食べる量は、それまでと同じように、身動きできなくなるぐらいに、腹に詰め込みます。 オリエンテでは始業が8時30分ですが、私はだいたい20分ほど前に仕事場に入り、仕事場全体を歩き回り、その日の仕事の段取りを考えます。 オリエンテの場合、実は特に “お前は〇〇を担当しろ。” と親方から担当を決められるわけではなく、下働き期間を終えて作業場に入れられたときに、とりあえず全ての工程を経験させられます。 その中で、自然と自分の得意そうな作業工程に組み込まれていくという流れで、結果的に私の場合は、いわゆる表・裏板の削り出しの作業と、楽器全体の研磨(紙ヤスリで磨く作業)が中心になっていきました。 そのため、オリエンテの職人は基本的にコントラバス製作においては全ての工程を心得ているわけで、普段の仕事の中で、どこかの作業工程に遅れが出た時などは、“ちょっとネックを削ってくる。” とか “ボディの研磨を手伝ってくる。” とか、その場の状況に合わせてサポートに入ることで、全体の作業速度を安定させることができます。 だから仮に、親方から誰かが特別に修理の作業を指示されたり、特注品の製作を任されたりしたとしても、全体の作業速度に影響を与えることはありません。 オリエンテの年間500本という驚異の製作量は、このシステムが生み出しています。 まぁ、簡単にいえば『職人が必死で作っている』というだけの話ですが・・・・・・。 オリエンテでは職人たちそれぞれが自ら考え、段取りを組んで仕事をしているので、ちょっと一般的な楽器メーカーとは雰囲気が違うかと思います。 そうやって朝、作業場を歩き回って、その日の段取りを頭の中で、ある程度までは詰めて考えておくのですが、実際に仕事を始めてみると、その日に扱う材木の癖であったり、自分の体調や気分によって、思うようにいかない時も少なくありません。 その場合は、『数時間後』『明日』『数日後(塗装予定日)』『次週』と、いくつかの時間軸を捉えつつ複合的な視野で段取りを、実際の作業を行いながら組み替えることで、肉体的にも精神的にも負担は軽減します。 このように、自分の状態を冷静に判断しつつ、周囲の職人たちの作業具合も確認しながら、製作作業を進めていきます。 その頃、私は仕事中に道具の刃物を研ぐことは、ありませんでした。 刃物の研ぎの作業を入れてしまうと、楽器製作の作業時間のロスという問題もありましたが、それ以上に『楽器を作る』ということと『刃物を研ぐ』ということは、使用する〈集中力〉が違うので、そこで自分の中での作業の〈流れ〉が変わってしまうことを嫌いました。 だから普段から、同じような道具を複数用意してあって、メイン・サブ・予備と、その日の作業で刃物を研ぎ直す必要が無いように、対策はしてありました。
17時30分に終業です。 その頃は、まだ、それほど残業的なことはしていませんでした。 理由としては、毎日、肉体と精神の限界まで追い込んでいたので、もう、それ以上仕事ができませんでした。 そして・・・帰宅してからの作業も残っています。 そうです。その日に使った刃物の全てを研ぎ上げる作業が待っています。 帰宅してから1時間ほど休憩をして、仕事場から持ち帰った刃物を研ぎ直します。 楽器製作には様々な種類の刃物を使用しますし、前述のように予備の刃物まで使ってしまうと大量になり、研ぎ直しの時間は、毎回、1時間半から2時間ほど必要となります。 そうやって、『ただひたすらに楽器を作り続ける』というのが〈半人前〉の時代です。
結局、職人世界の大前提でもある『力こそ全て』・『結果至上主義』という、そこを走り抜けていくには、やはり最低でも、この程度の覚悟と実戦(実践)が必要だったと思います。 身勝手だとは理解しつつも、どうしても家族や周囲の友人に多少なりとも迷惑をかけてしまうこともあるわけで、『牛乳1L ブチ撒いた事件』も、そのような時期に起こったわけですね。