先日、高校時代の音楽仲間が遊びに来ていた時に、
“お前の性格だから〈販売〉が苦手なのはわかるが、取り扱っている商品は、しっかりと売れ”
と言われてしまいました。
それは至極もっともな話であって……
というわけで、当店の取り扱い商品である Orienteのコントラバスを改めて紹介してみようかな、と思います。
とりあえず HB-45を撮影して、楽器を眺めながら色々と考えてみるが……もう紹介文に関してはHPに解説のようなものを書いてあるので、今さら何か気の利いたセールストークも出てこない。
HB-45という楽器は、HO-38の後継器で、私が Orienteで修行していた頃は、まだ HO-38でした。
HO-38という楽器は、親方である東澄雄にとって非常に思い入れのある楽器で、『駆け出しのプロには HO-58(現行ではHB-65)を。学校の教育現場には HO-38を』という強い思いがありました。
“学校には、まぁ HO-20(現行ではHB-25)でもえぇが、やっぱり全部単板で作られた HO-38があったら、そりゃぁ、もっとえぇがな。そう思って俺は作ってるんや”
と事あるごとに、親方は口癖のように話していました。
そういう親方に育てられた私も、自然と HO-38に対する思い入れが強くなることは当然でした。
『決められた材料で、決められた作業工程で、決められた納期で、いかに優れた楽器を作るのか』
それが、Orienteの職人に求められるものです。
金に糸目をつけずに高級な材料を仕入れ、好きなように楽器を作り、時間無制限で気の済むままに時間を費やすことができる…そんな作り方をしていたら、絶対に学校の教育現場で子供たちが日常的に使えるような楽器は作れません。
求められるものは、コストと品質のバランスです。
そして、コストよりも品質の方が少し上まわるぐらいがベストです。
そういえば、私の仕事道具である鑿を製作した鍛冶屋が言っていました。
“依頼されたものの予算が2万円だったとする。その時、私は『2万円とちょっと』のものを作る。そうすると、その〈ちょっと〉が使い手の満足度になる。『2万円なのに、こんなに良いものが手に入った』って。そうすると、次も依頼をしてくれる、とね。”
その鍛治職人に限らず、私の周囲の職人たちも同じようなことを言いますし、この感覚は日本の職人文化なのかな、と思います。
そして当然、Orienteにも、その〈ちょっと〉の精神は根付いています。
とはいえ、私が Orienteでの修行時代、 HO-38の製作を担当したとき、本気を出しすぎて、その時同時に製作されていた上位器の HO-50の響きを軽く凌駕してしまい、二代目から “それはちょっと、やり過ぎだなぁ……” と幾度か言われたことがあります。
〈ちょっと〉の加減も、なかなか難しいですね。
『ちょっと』といえば、楽器を仕入れて入荷して、その楽器を調整することも『ちょっと』なのかもしません。
入荷したものの楽器に、それなりに魂柱を立て、それなりに駒を調整して販売したって、本来は何の問題もありません。
むしろ、それが通常なのだろうと思います。
ただ当店では、Orienteに限らず、店に入荷された楽器は徹底的に調整し、すぐにでも本職の演奏家が音楽の現場で使用できるレベルに仕上げます。
そこまで調整してしまうと、“使用する人によっては、駒の交換が必要になる場合があるのではないか?” という質問を受けますが、それは、そのときにまた駒を新しく作れば良いだけの話です。
もっとも、そのような事態にならないような楽器の調整のバランス感覚も心得ているつもりではありますが…
高級な楽器を仕入れ、持てる知識を必死で振り絞って熱く語るような趣味は私にはありません。
だから、そういう楽器は仕入れません。
私は、私の育った Orienteをよく知っています。
だから、Orienteの良いものを販売していけば、それで良いと思いますし、それが私の職人としての身の丈です。
近年は Orienteの楽器であれば、圧倒的にオイルニスのコントラバスの人気があって、“もはや、それしか売れていないのではないか…” と思ってしまうのですが、通常のラインナップの楽器たちも、Orienteの側では二代目が選定をして、当店に来てからは、私がしっかりと調整しています。
数年前は、少しでも品質に納得できなければ、
“自分で作った方が、良いものができる”
と問答無用で返品していましたが、二代目が選定するようになってからは、非常に良いものが毎回入荷します。
HB-45に関しては普段から在庫切れを起こさないように気を遣っていますので、いつでも試奏できる状態にしてあります。