オリエンテに楽器を送る必要があったので、輸送用の木枠を製作。 修行を始めた頃、最初の4年間の下働き時代には、毎日のように8〜10個を作っていたわけで、久々に作ってみると懐かしくもあり、面白くもあり。 お袈裟ではなく、木枠を作らない日は週に一度あるか無いかぐらい、作り続けていました。 下働きの頃は、確かに今から思えば、もはや、あの当時でも時代錯誤なほどに、親方から厳しく育てていただいたわけですが、実は、それでも意外と息抜きができる時間も、ちゃんと確保できていました。 私が下働きを始めて(修行に入って)から、2年目の終わりか3年目に入った頃か・・・オリエンテに出入りしている運送屋の担当ドライバーが、私と同年代(20歳代前半)の新人になります。 彼とは毎日のように、配達の時も集荷の時も顔を合わせます。 気も合ったものか、彼とすぐに仲良くなりました。 まだまだ世の中に〈ゆとり〉のあった時代で、楽器の出荷の際にトラックに荷物を積み込んでから、担当ドライバーの彼と5分とか10分とか雑談をします。 だいたい、彼の仕事の愚痴(ぐち)を聞かされるわけですが。 本来であれば、親方から激怒されてもおかしくはないのですが、当時、オリエンテの職人は全員関西圏の出身で、私一人だけが地方出身者でした。 だから、“せっかく、京都でできた友達なのだから。” と、親方は大目に見てくれていたのだと思います。 まぁ、長い時には、二人で30分ぐらいサボっていましたけどね♡ ある時、私が昼休みに仕事場のガレージに駐車してある軽トラックの荷台で昼寝をしていた時。 彼に叩き起こされます。 “整備班長に『トラックが汚い!』って怒られて、次の点検までに掃除しておかないと、かなりヤバイ。 だから手伝って!” と切実な顔で言います。
“んなもん、自分が悪いじゃねぇか。” と私は返したものですが、彼は “これ、今、ヤマザキパン(オリエンテの近所にパン工場がある)でもらったパン。これあげるから。” と、袋に詰め込まれたパンを差し出します。 ・・・断る理由が、なくなりました。 えぇ・・・貴重な昼寝の時間を潰して、トラックの大掃除。 確かに、あの運転席周辺の汚さは、整備班長が怒るのも納得のカオスでした。 もう、あの頃は毎日が、こんな感じで厳しくも楽しい下働き時代だったように思います。 出荷用の木枠を作ると、辛かった思い出よりも、あれこれ面白い思い出が、思い起こされますね。 下働き時代の辛い話は幾らでも出てきますが、同じぐらい、下働き時代の面白い話も、幾らでもあるのですよ。