今、儲けるために仕事をしているのか?
次の世代に何かを残すために仕事をしているのか?
昨日の産業振興公社の担当の方との話題を記事にしていて、数年前の出来事を思い出しました。
当店は、開業当時から〈こんな感じ〉なのですが、周囲から『もっと店の強みをアピールしなければ儲からない!』と、よく言われました。
当店には、ウルフトーンを消してしまう技術であったり、電気系の技術であったり、そのあたりを猛烈にアピールするべきだ、と。
産業振興公社のコーディネーターといえば、いわゆる経営コンサルタントのような立ち位置なのですが、以前(数年前)、いつもの担当の方とは別の方を、取引先の銀行から紹介されたことがあります。
私のいつもの担当の方は年配の方で、その紹介された方は、私と同世代か、少し上ぐらいの年齢で。
なんでしょう・・・話の組み立てというか、進め方というか、そういうものが、一般的な小売の雑貨屋や、カフェなどの飲食店と〈話の乗り〉が一緒なのです。
まさに『もっと店の強みをアピールしなければ儲からない!』と言うわけですね。
私は、“いやいや・・・それは、どうだろう?” と思って、その方とは一度きりの付き合いとなったわけですが、まぁ・・・この業界も目先の利益を優先的に〈商売〉をする人も増えてきたのは事実のような気もします。
つい先日、小学生の息子の眼鏡を作り直しまして。
それが納品される時に、息子の顔に合わせて眼鏡のフレームの最終調整をしました。
店員さんがフレームを熱して曲げていくのを、私は “なかなか器用なものだ。” と感心して眺めていたのですが、彼は明らかに〈販売員〉であって、〈職人〉ではない。
そこで “じゃぁ、『技術のある販売員』と『職人』は何が違うのか?” と、思いを巡らします。
私の中で幾つもの定義が浮かんでは消えていくわけですが、最終的に “明確な区別をつけるのは、難しいのではないだろうか?” という結論に至ります。
う~ん、『技術のある販売員』の〈技術〉が高度というよりは、現代の職人の技術が、技術のある販売員に近い・・・というべきか。
それこそ大手の眼鏡店(息子もそこで買った)で考えてみた場合に、そこの従業員は、メガネのレンズをフレームに取り付けて、最後にフレームの角度の調節する技術を持っていても、彼らは職人とは評価されずに、あくまで販売員。
街の自転車屋さんも、どんなに面倒くさい分解修理をしても、彼らは職人とは評価されずに、どちらかといえば販売員としての評価。
かくいう、この業界は、自分の店を持っただけで『弦楽器職人』の称号が、世の中から与えられるという。
これは、なかなか興味深い現象だと思います。
少し厳しいことを言ってしまえば『何もしなくとも一人前という評価が得られる』ということですね。
とはいえ、そのこと自体、いつも申し上げますように、世の中がそれを自然なこととして認知しているのですから、良いとも悪いとも言えません。
ただ、それだけに職人と呼ばれる人々が、それぞれに己を戒めて精進していく以外には、『次の世代に何かを残すための仕事』には、ならないわけです。
私の感覚としては、コントラバス職人など『今、儲けるための仕事』と考えるなら、非常に効率が悪いわけで、今すぐ、他の業種に転職をした方がいい。
結局、私は、そもそも逃げ場のない人間でありますし、かといって、そこを悲観するわけでもなく、『音楽の文化の片隅に身を置いている幸せ』というのが、この店を動かしている原動力のような気がします。