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『教えない』という話。

先日、友人の大工が遊びに来ました。  映像にもある、当店の内装を作ってくれた、彼です。      私がコントラバスの指板の黒檀を削っていたところにやってきたので、そこから話題が広がります。      “黒檀を削るときは、どんな鉋(かんな)を使っているの?” と彼は私に質問をします。    “安い鉋。その方が早く研げるから。” と私は答えます。    “なるほどね。それは効率が良い。” と大工の友人が返します。        実は、これだけの短い会話の中に、大量の木工技術の技術的な情報が含まれていて、それをお互いに読み取りながら話をしているわけです。    隣にいた私の女房は、全く話の内容が理解できずに憮然としていましたが、『職人の会話』というものは、本来そういうものです。        例えば、上記の会話を解説してみましょう。   『安い鉋を使用する』  使用されている鋼が低品質なものなので、すぐに切れなくなる。  すなわち、すぐに刃が丸くなる。=耐久性が低い    逆に高級な高品質な鋼は、切れ味が悪くならない。  刃が丸くなるのが遅い。=耐久性が高い     『早く研げる』  低品質の鋼が(悪い意味で)柔らかいので、研げばすぐに刃がつく。    高品質の鋼は、少々、刃先が丸まっても切れ味が落ちないので、本当に切れない状態まで使ってしまうと、研ぎ上げて刃をつけるまでに時間がかかってしまう。

  『効率が良い』  刃物を完璧に研ぎ上げたときの切れ味(切断性能)は、あまり高品質も低品質も変わらない。  しかし、高品質と低品質では、圧倒的に耐久性が違う。

 結局、高品質な鋼を使用している鉋を限界まで使用して研ぎ直すよりも、低品質なものを何度も研ぎ直した方が、少々の手間がかかっても、時間的に効率が良い。      このように、短い会話の中に、深い意味が含まれています。            私の修行先であった ORIENTE(オリエンテ)の二代目と話をする時も、例えば会話の中で “あの厚みは、0.5mmぐらい薄くした方が良いと思う。” と言うだけで、そこに何の意味がるのかが、相手に伝わります。          日本の職人の伝統的な教育方法に『(親方の作業を)見て覚える。』というものがあります。  私も、親方から具体的に〈指導〉を受けたことはありません。    全て、親方の仕事(作業)を〈見て〉覚え身に付けましたし、逆に、親方に指示されたことができなかったときには、“お前は、今まで何を見てきた?” と叱られました。    それは結局、言葉を使って教えようとすると、膨大な時間が必要になり、手間がかかるということです。  親方が言葉で教えるよりも、弟子が積極性を持って〈見て〉技術を身につける方が、圧倒的に早い。  だから『あえて教えない』という指導方法が代々、受け継がれてきました。        ある時、二代目と技術的な難しい話をしていたときに、“二代目って、他の職人から質問を受けたとき、ちゃんと答えてるの?” と質問をしたことがあります。  そのときの二代目は…“ん?面倒くさいから、いつも『それでいいんじゃないですか?』って答えちゃう。” と話していました。    まぁ…意外と私も、そうかもしれません。  私も、(先人たちに)教わる気のない若者(職人)に、技術や知識を教える義理もないですし、慢心に身を滅ぼして、勝手に朽ちれば良い。      ただ近年は、私の楽器の調整技術などをFacebookやHPで公開をしているので、そこから質問を受けることもあって、そういうものは、適切な返答ができているように心がけています。      決して、現代のように弦楽器製作の専門学校で『教科書』を使って教育を受けた職人がダメだと言っているわけではないですが、実際に職人として生きていると、やはり最終的には『教えない指導方法』に行き着くのかなぁ、と思います。  言葉で教えきれることの方が、圧倒的に少ないように思います。    そもそも『教科書(参考書)に書いてあること=読めば理解できる程度のこと』だと思います。

   少々、人生を捨てる覚悟で頑張れば、誰にでも平等に与えられるチャンスだと思います。  職人として生きるのであれば、それが普通で日常です。

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