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修行を始めて4年目の終わりの頃

 修行時代の、おそらく一番苦しかった(辛かった)こと。

 

“修行時代には、何が一番苦しかった(辛かった)ですか?”

 という質問は、意外とよく受けるものです。

 だいたい最初から最後まで均一に苦しかったものですが、最近、ふと『一番苦しかったこと(辛かったこと)』を思い出しました。

 

 これは、おそらく(家族も含めて)誰にも話したことがないと思います。

 〈隠していた〉というよりも、完全に自らの記憶の中に封印されてしまていたのでしょう。

 

 

 修行を始めて4年目の終わりの頃。

 それが一番(精神的に)苦しかったと思います。

 

 よくお話ししますが、私は最初の丸4年間を、雑用ばかりの下働きをしていました。

 その間、楽器を作ることは、ほとんどありませんでした。

 しかし、4年目も中頃を過ぎると、それでも少しは楽器を作る機会を親方から与えられます。

 1日1時間程度。

 たまに半日程度。

 そして、親方は何も教えてくれない。

 周囲の職人の動きを見て、なんとなく真似をしてみる。

 

 『製作時間が短く、全く指導も受けられない』

 その結果、『何もできずに無力感だけが残る』という状況。

 

 

 修行を始めてから4年目の終わりの頃ということは、周囲の友人たちは大学4年となり、就職先も決まって卒業を待つばかりです。

 そう…私の修業先の京都へ、卒業旅行へやってくる。

 

 そして友人たちに誘われて、京都市内で落ち合い、時間を過ごす。

 

 彼らの楽しかった大学生活の話を聞き、春からの新しい職場への夢や希望を聞かされる。

 彼らには、全く悪気はありません。

 むしろ彼らからすれば『高校を卒業して弦楽器職人になった友人』の方が、よほど『夢と希望を叶えた人間』に見えるのです。

 

 私は、まさか楽器を作ることが許されず、この4年間、雑用ばかりをやってきたとは、友人たちには言えません。

 黙って、彼らの楽しかった4年間の話を聞いていました。

 

 

“自分は、この4年間、何をやってきたのだろう?”

 彼らの話を聞きながら、虚しさや悲しさや、苦しさを必死で抑え込みます。

 『弦楽器職人としては、この4年間、自分は何もしていない』という現実が、心を押し潰そうとする。

 

 他人を羨むよりも、自分の無力さが情けなく、もはや涙も出ませんでした。

 

 

 

 だから、今思い返すと、あの『4年目の終わりの頃』が一番苦しかったです。

 

 

 

 こうやって30年近く職人として生きてきた現在、職人として生き抜くには、あの時代の苦しみが必要であったことは充分に理解しています。

 だからと言って、次世代に同じような経験を強要する気にもなれません。

 

 

 

 私は独立をして当店を開業するまでは、仕事の悩みや苦しみを誰にも打ち明けた事はありませんでした。

 周囲の期待を裏切りたくはないという思いがあったわけではなく、あまりに精神の極限の中で生きていたので、ほんの少しでも誰かに職人として生きる苦しみを打ち明けてしまったら、一気に気力の糸が切れてしまう恐怖がありました。

 

 もし私が独立をせずに、今もOrienteで二代目の側で職人として生きていたら、おそらく、そのまま何も語ることなく、心に蓋をして生きているに違いありません。

 

 

 

 私自身は、異業種も含めて、他のところで修行を納めたことはありませんが、おそらく本来の〈修行〉というものは、これが普通なのではないかと感じます。

 

 だから私自身、突出して苦しい道を歩んできたわけではない。

 

 現に、私の周囲の親方衆と話をしていると、

“うん。君ぐらいの〈修行〉は当たり前だね。”

 と言われます。

 それどころか、

“君は高校3年間遊べたのだから、文句を言える立場ではない。”

 と、中学校を卒業して修行の道に入った親方に釘を刺されてしまう。

 

 

 

 近年の〈修行しました〉や〈勉強しました〉という言葉の軽さに驚くこともありますが、それが〈時代〉であり、文化の中での需要と供給のバランスの中での言葉の重みなのですから、それを受け入れていくしかない。

 

 

 

 色々と悩ましく感じつつも、

“私のような苦しみを味わなくとも、〈職人〉として生きていける現代の世界は、やはり幸せなのだろう。”

 と感じるのも、それも本音です。

 

 基本、私は怠け者ですから。

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