“『努力』というものは、己の肉体と精神が崩壊する、その極限の状態へ身を置いてこそ、初めて成立するものだっ!!”
と、我が家の子供達に叱りつけると、女房に、
“アンタのような職人と、一般人を一緒にするなっ!!”
と、怒られる・・・。
京都での修行時代、私にとって『努力』とは、そういうものでした。
とにかく肉体(体力)の限界まで追い込む。 疲労で吐きそうになっても、吐くことすらできないぐらいに、自らを追い込む。
とにかく精神を追い込む。 目の前にある壁、『己の限界の壁』を常に目の前に感じ続けながら仕事を続け、そして『己の限界の壁』を一つ乗り越えたら、また次の『己の限界の壁』の前に立ち、一歩も退かない。
“一歩でも後ろに逃げてしまったら、全てが終わる。”
というぐらいの気迫で、自分を追い込む。
逃げ出したくて、逃げ出したくて、発狂しそうなぐらいに苦しくても、自ら発狂させることを許さぬ自制心で無理矢理に抑えつける。
それが『努力』というもの。
それができて、そういう熱烈な修行時代を乗り越えてこそ、私は『本当に一人前の職人』になるものだと思っています。
というよりも、むしろ本来は『それぐらの精神の強さは当たり前』なんですけどね、〈職人〉って生き物は。
多くの先輩職人の方々の生き様を見てみれば、私の修行など、まだまだ甘かったようにも思えます。
そして、『努力は全く評価の対象にはならず、結果こそが全て。』というのも、職人世界の理(ことわり)です。
調子の良い言葉も、言い訳も、珍妙なパフォーマンスも職人には無用です。
全ては、結果です。
そういう意味では、特に努力をしなくても、強靭な精神力が身につくという結果が得られるのであれば、それも良しとされるのが職人世界ですが・・・もっとも、そういう〈職人〉には、まだ出会ったことはありません。