〈段取り〉というものを身に付ける、のような話。 職人という生き物にとって『〈段取り〉が組めるか組めないか』というのは、大袈裟ではなく生命線で、それが組めないようでは、どんなに高い製作技術を身につけたとしても、本当の意味で、一人前の職人とは言えません。 よくお話をする、下働きの頃。 この修行を始めた頃は、親方から2つ3つの仕事を与えられ、それを同時並行で行い、指示された時間通りに納めなければ、叱られます。 先輩たちが製作している、次の(製作する)楽器の材料の仕込みであったり、それこそ大きな原木の製材であったり、出荷用の木枠の製作、出荷前の楽器の検品と梱包、運送屋の手配、大型の機械の整備、掃除など、様々なことを同時進行で行います。 それができないと、“2つ3つの仕事を同時にできないようでは、職人として使い物にならん!” と親方から叱られるわけです。 そして下働きの期間を終えて、作業場で楽器を作ることが許されてから、どうでしょう・・・修行を始めて10年になるか・ならないかの頃でしょうか? 私が楽器の表板だか裏板だか、いわゆる〈削り出し〉の仕事をしていた時、“おい。この続きをやってくれ。” と私の後ろにいた親方から声をかけられます。 私は目の前の材木を削っていたわけですから、当然、真後ろにいた親方の仕事など、見ていません。 ところが・・・“お前、俺の仕事を何も見てなかったのか?” と親方に叱られます。 “・・・・・・理不尽だ。” と思ってみても、親方に反論することは許されません。
修行を始めて10年を超えてくると、自然と、仕事場の中にいる親方の〈気配〉を感じながら仕事ができるようになります。 もう、自分の視野に入っていなくても、親方が作業場の外で大きな材木を製材している音で、“今、ネック用の材木を切り出している。” と判断できるようになります。 このあたり、下働きを経験していると、機械を使用する音だけで『何をどのように製材しているのか。』ということが判断できるようになるわけです。
というわけで、自分の仕事をしながら、常に親方が『どこで何をしているのか。』を感じ取ることで、親方から急な指示が飛んできても、落ち着いて対応できるようになりました。 結局、親方から与えられた指示ができないということは、『せっかく与えられたチャンスを自ら失う』ということですから、やはり、修行というものにおいて、そんな失態は絶対にできません。 そうやって『親方の気配を意識しながら仕事する』をいう技術が身につくと、今度は、他の職人たち(当時 親方を含めて7名)にも応用していきます。 オリエンテでは(基本的に)分業制ですから、ある程度、他の職人と作業速度を合わせないと作業工程の段取りが狂ってしまいます。 そこで、『現在、誰がどのあたりの作業工程で、あの速度であれば、今日は〈これ〉ぐらい、2日後には〈あれ〉ぐらい。』と個々の職人の作業状況と全体の作業状況を読み解くことで、“じゃぁ、あたしは、これぐらいが丁度いい。” と、自分にとっても全体にとっても、一番ストレスのないポイントを見つけ出して、それに合わせて仕事ができるようになります。 修行を始めて15年が過ぎた頃、おかげさまで親方に〈一人前〉として扱っていただけた頃。 この頃になると、『いかに効率よくサボるのか?』が私の中で重要になってきます。 日々、追い込まれるように身を削って仕事をしていたので、“上手くガス抜きしなければ、ぶっ壊れる。” という自覚は、あったわけです。 そうなると、前述の『仕事場全体の状況把握能力』が役に立ってきます。 他の職人の作業状況から、納期の期日などを計算して自分の中で作業の段取りを組み、上手くスケジュールに穴を開けます。 私が無理に頑張らなくても良い状況を、作るわけです。 そして、別室で完成したばかりの楽器を最終調整している二代目のところへ、遊びに行きます。 “気が乗らねぇから、今日は、もう終わりだわ。” などと言って二代目のところへ乗り込んで、二代目の作業を眺めていました。
“職人が〈職人〉だと言えるのは、自分の仕事の〈段取り〉が確実に組める奴に対して言えることで、それができなければ、ただの〈作業員〉だ。” ということは、私が育った環境だけではなく、意外と他の業種の職人たちと話をしていても、同じような意見が出てきます。 私も修行時代には、毎朝、仕事場に着くと、まず作業場を眺めて、その日の段取りを再確認し、仕事をしながら、最終的な本日の作業の〈落としどころ〉を考えつつ、3日後の作業工程や1週間後の作業工程も視野に入れて、〈現在〉の自分の立ち振る舞いを決めていました。 職人の〈修行〉というものは、一見すると、刃物を研いだり材木を削ったりという身体を動かすことに注目が集まりますが、その根底には、長い時間をかけて磨き上げてきた『〈段取りを組む〉という技術』が、職人という生き物の根底を支えているのです。