職人という生き物は、基本的に〈身体の記憶〉で仕事をしているので、作業が波に乗ってくると、頭よりも先に、身体が自然と自在に動きはじめます。 そういう時は身体が動くに任せて、頭の方は〈意識〉と〈無意識〉の境界線のあたりでグルグルと、まわり始めます。
私にとって、この『意識をまわす』という作業はわりと重要で、これで自分自身の意識の奥深くに忘れそうになっていた事柄を、また引き出したりすることができます。 というわけで、今日は、つらつらと意識の奥の方から引っ張り出してきたネタを書いているのですが。 絃バス屋を開業した、その日に廃業のタイミングを考える。 う〜ん、実際のことろ、いつも廃業のタイミングは考えているのですが。 私、無理に自分の店を持たなくても、他の楽器店で雇っていただくだけの技術と知識はあるので、そこまで自分の店に拘り(こだわり)を持たなくても生活はできるであろう、と。 だから、絃バス屋という店を運営していく上で最も重要なことは、『絃バス屋という存在が、コントラバス界に必要とされているのか?』ということを、常に冷静に見極め続けることなのかな、と。 私、音楽が好きです。 だから例えば、絃バス屋の技術であったり価値観であったり、そういうものが今の音楽の世界に不要だとされ、客足が伸びずに売り上げが上がらなかったとしたら、私は、あっさりと店を閉じます。 何だろう・・・そこで(生活のために)無理をして、大衆迎合であったり、嘘であったり、大袈裟であったり、なんか詐欺まがいなことをして売り上げを伸ばしてみても、結局、現代の音楽の文化の足を引っ張るだけで、何の貢献も無いわけですね。
私は、〈音楽〉というものを汚してまで、絃バス屋を続けるつもりは、ありません。 私は歴史に名を残すようなことには興味ないし、今の時代においても、業界のトップを目指すようなことにも興味ありません。 ただ、私は演奏家ではないけれど、〈音楽〉というものの深みに、弦楽器職人として関わっていきたいし、自身も、その深みに到達したいと願っています。 と、そんなことを今日は仕事をしながら、考えておりました。