コントラバス業界の未来。 そんなことを考えた1年でした。 まだ、今年の業務は終了していませんが。 新型コロナウイルス(COVID-19)の影響で、物事を考える時間を多く確保できたことは、有意義だったと思います。 “コントラバス業界の未来は明るいのか?” そんなことは、よく考えました。 私は演奏家では無いので、演奏家の視点でコントラバスの世界を見ることはできませんが、コントラバス職人の視点でコントラバスの世界を見たときに、決して明るい未来が見えているわけではない。 商業的な側面は別にして、『コントラバスの文化』というものに目を向けたときに、文化の衰退の影は明確に見えています。 結局、それに気がついていない職人が多い。 “『伝統』という言葉に、もはや落とせないほどに手垢がついた。” そんなことも、考えました。 〈伝統〉とは〈継承〉です。 〈継承〉がなければ〈伝統〉も無い。 〈伝統〉における〈継承〉とは、次世代にまた〈継承〉させることが前提で、〈受ける〉だけで終わるものでは無い。 そのような『伝統の構図』を理解できない、理解しようとしない職人が増えたように感じます。 おそらく、私は古い時代の価値観の最後の職人ですから、今の世の中の価値観の尺度で考えれば、私が間違っている。 おそらく、私のような職人は、どんどん淘汰されていくでしょう。 時代の流れというものがあって、それが〈文化〉というものを形成します。 そう考えると、時代遅れ。 私のような古い職人の存在は、なにをやっても負け戦。 ただ、私の考えとしては、コントラバスという楽器の本質は、〈伝統〉と〈継承〉の中にあるべきだと思います。 “〈伝統〉も〈継承〉も〈革新〉も無い。” それが、現代のコントラバス業界だと思います。 『新製品』は登場しても、大きな技術的革新は無い。
電気的な機材に関しても、販売するだけで、調整も修理もできない。 Wilsonも、YAMAHIKOも、Underwoodも、1980年代から市場に出回っているわけで、もう40年前から使われています。 あの頃から、職人の知識と技術は進歩しているのでしょうか? 販売するだけであるなら、誰にでもできる。 コントラバス職人を自称する必要もない。 それは電気系の機材にしても、コントラバスにしても同じこと。 インターネット上にある記事も、本職でさえ、どこからか記事をコピーして、貼り付けて、さも自分の意見かのように語る。 それこそ、その楽器の仕様が記事と現物が間違っていても、確認もせずに売りつける。 技術論も、職人が自らの技術で確認もせずに、確信を持って語る。 さて、このまま突き進んでも、コントラバスの文化の繁栄は見えない。 そう感じるのは、私だけですか? 一年の総括の記事の前に、マイナス思考を書き込んでみました。